先日の土曜日にあった、史跡米子城跡発掘調査に参加してきました。しかし、僕は高校の日本史で赤点しか取ったことがないのであまり内容には期待しないでください。
このイベントの案内を聞いたときは10人程の規模を想定されていたようですが、当日は30人近くの方が集まる大所帯になりました。山登りに合わせた格好の方が多く、普段の装備にカメラをぶら下げている僕は少し後悔しました。この後泥でズボンがやたら汚れてしまうことになるとはつゆ知らず。
米子城はその立地から海を意識した城とされていて、登っていくと中海が一望できます。商船などが昔あったのでしょうか。
頂上に向かうとかなり視界が開けて見えます。町が一望できる城跡ですが、城が残っていればどんな眺めになっていたのでしょうか。
今回は本丸ではなく八幡台というところで新たな発見があったそうなので、ぞろぞろと移動します。
それがこの瓦。
なんとこの瓦、年号が刻印されていて、嘉永6年に作られたそうです。嘉永6年といえば1853年にあたり、その頃米子城は四重櫓と石垣を鹿島家の負担により大修理をしたそうです。
年表も資料として頂いたので載せておきます。米子城の築城から取り壊しまでの経緯が記載されています。こちらをクリックすると拡大画像が表示されます。
そういえば椿ももう見頃です。かなり暖かくなってきましたよね。冬装備で城山に挑んだものですが、上へ上へと登って体を動かしていると暑いくらいで、かなり汗をかいてしまいました。ぼちぼち春支度を始めないといけなくなってきました。タンスの中を入れ替えたり、布団を替えたり。みなさんは春の準備、どうですか。
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