2016年4月13日水曜日

【拙文】文章がかけない人の考え

このブログではいつも写真つきの記事をあげてきましたが、今日は文章のみでやってみます。どうしてその考えに至ったのかというと、これまで半年続けてきたこのブログでは自分の話をしていなかったということからです。効果的な情報発信を目標としてきたのですが、見ている方からはその情報発信はどんな人が行っているのか人となりが全く見えていないのかもしれません。そもそもこの人は誰なんだって感想を抱くのは自然なことです。だって自分のこと喋んないんですから。もっと米子での生活や米子に来て感じたことを書いていったほうが人間味もでるんじゃないかと思います。自己紹介はこのブログ立ち上げて初日にしましたが、言ってしまうとそれだけ。名乗っただけ。と、いうことで今回は写真に頼らず自分語りをしていこうと思います。

しかし、文章を書こうとすればするほど、何を書いていいのかわかりませんね。高校生のときに仲間内で書いてたブログを見た友人が「お前の文章なんかむかつく」と言ったことがあるくらい僕の文章は不恰好なんです。見てのとうり書きながら考えているというか、何も考えずに書いていることがありありと伝わってくるようでしょう?僕の悪い癖なんですが、そもそも言いたいことがないという状態が多々あるんです。人との雑談はべらべら喋れるですが、文章となるととたんに書き淀んでしまいます。これは多分、意味のないことを話すことと文章にすることに開きがあるからだと思っています。収録されていない限り、喋った内容はその場に残るということはありません。ですが、文章では形に残ってしまう。それを考えると意味のない文章は書けなくなってしまうのです。そんな考えによってどんどん筆が進まなくなってしまうんですね。「そもそもなにも書きたいことがない」というのは多分文章を書くことが苦手な人に結構当てはまるかもしれません。書きたいことさえあればそれに沿って文章を組み立てるだけですが、全く筆が進まないという人は実はそもそも書きたいことがなく、その状態に陥っていることに気がついていないということがあるんじゃないでしょうか。

なにも考えていないので文章にしづらい、と言いましたがこのブログではあえてその中身のない文章を記していきたいです。大層なことを論じたい、なんてこと僕にはほとんどありません。ですが日々感じていることをつらつらと書くことはできます。本筋なんてものそもそもないのですからあまり練らずに書いていったほうが筆もすすむんじゃないかという甘い考えで、たまにこんな風に思ったまま書くというのもやってみようと思います。

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