2016年4月20日水曜日

【拙文】食べるということは、生きるということ。スーパーvs僕

最近、すこしやせたねなんてことを多方面から言われます。当の本人にはその自覚はないのですが、どうやら冬を越えて蓄えてた脂肪が少し落ちたようです。あまり自分の体重に関心がないのか、周りから言われて初めて太ったことや痩せたことに気がつくのが常でした。

考え辿ってみると、そもそも食にたいする関心も薄いみたいです。こだわりのようなものは全くなく、そこそこ美味しくて量があればどんなものでもいいという具合。最近に至ってはスーパーの半額コーナーのみで購入しているので、半額シールを張るおばちゃんが僕の献立を決めているようなもの。僕の胃袋はLAMUに握られているといっても過言ではありません。

食を完全に物まかせというのは生き物としてかなり怠けていますよね。本来、食べるということは生きるということ。摂取した物が直接自分の体を構成していく。それが自然です。

人間の体を構成する分子は一定期間で入れ替わりをします。こちらによると 脳、筋肉、皮膚、血液などは1年あればほぼすべて入れ替わります。骨でさえ成人は2.5年で入れ替わるそうです。不思議ですよね。数年たてば自分の肉体は完全に別の物質になってしまうんです。感覚的には変化がない記憶さえも、それをつかさどる脳の分子も入れ替わるわけですから、ある面では自身を定義するものはなんてあやふやなんだとも思ってしまいます。

なんだかそれを聞くと、炭酸飲料ばかり飲む僕の血液はしゅわしゅわしているんだなんてくだらない冗談も言いたくなりますが。

結局自分を形づくるのは食べたものです。わかっています。でも、安くて美味ければそんなもの二の次。僕の野生がスーパーに負けてしまったわけですね。しかし半額コーナーを駆る姿はある意味野生と言えるのではないでしょうか。狙った獲物は逃がしません。そんなこんなでスーパーの掌の上で踊らされている僕でした。

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